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子供たちも、日本の学校に対する不安や、友達と別れるさびしさをのりこえて、帰国への理解を示してくれた。
とはいうものの、日本医師会の挑戦は初期には新鮮で威力もあったが、厚生省との戦いが続くうちに両者の立場にもあまり変化がなかったこともあって、昭和五〇年代前半になると論争そのものがしだいに儀式化していった。
一方で、医療政策の競技に参加するためには、依然として厚生省か日本医師会のいずれかの陣営に加わらなければならない状況が続いていたため、不満があってもそれ以外の立場の者が新たな発想で挑戦することは困難であった。
新たな政策理念は実は厚生省の中から誕生した。
理由は以下のような二つの政策環境の変化によってである。
第一は、昭和四〇年代後半になると医療の量的拡大という政策課題がほぼ達成されたことである。
第二は、昭和五〇年代前半から医療費を抑制する必要がしだいに前面にでてきたことである。
これら二つの変化の根底には医療費の増大と財政赤字の拡大、および欧米における「大きな政府」に反対する思想的、政治的運動の台頭があった。
こうした背景で厚生省はアメリカで主流となっていた「医療経済」という新しいイデオロギーに飛びついた。
ただし、医療費抑制を正当化するための論拠として主に取り上げられたので、本来はその思想の根幹に位置するはずの個人の選択や競争原理という面は無視された。
武兄は市場原理の優れた点についてしばしば言及していたが、厚生省が提唱した「医療経済」は当然ながら日本医師会にとって決して都合がよいものではなかった。
取り上げられた思想はシカゴ学派の伝統に従ったもので、規制を利用して過剰の利得を享受している者が攻撃の対象となり、医療の場合、それは医師免許によってその立場が守られている開業医にむけられた。
こうした流れは医療経済の第一の推進者が吉村仁(昭和五九-六一年厚生事務次官)であったことからも明らかである。
吉村は若い時に国民皆保険を実現するために組織した勉強会で、日本医師会に対抗するための戦略を研究したことからもうかがえるように、同世代の厚生官僚の中で最も優秀かつ挑戦的な存在であった。
以上のような厚生省の動きに対して、日本医師会としてはそれに対抗した新たな理念を提示できなかった。
その一つの理由は、政策における優先課題が量的拡大より医療費の抑制に移ったため、日本医師会として自らを正当化する新たな論拠を見出すことが困難になったためである。
その結果、医療システムを抜本的に改革したり、全体の財源を増やすということよりも、開業医に配分される財源維持を優先するようになった。
こうした立場からすれば、病院の拡大は医師会にとっては脅威となるため、昭和五〇年代の後半には病院の病床規制を内容とした医療計画にも賛成した。
こうして医療政策におけるイニシアティブは厚生省に移り、昭和五〇年代後半には医療費を削減するためのさまざまな措置が断行された。
政策の転換がなされた際に、「医療経済」についての活発な議論が行われたことは厚生省内のモラールを高めるうえでは一定の効果があったが、肝心の市場メカニズムに基づいた効率性の追求という医療経済の理論支柱は、実際の政策面にほとんど反映されることはなかった。
それは医療費抑制策の中心が料金の包括化へマルメと呼ばれ、複数の医療行為を行っても一つとしてしか請求できないことを意味する、第五章参照)という新たな規制措置であったことからも明らかである。
一方で、厚生省の伝統的「公衆衛生」モデルも健在であり、それは昭和五六二九八一)年五月に国会に提出された老人保健法案の内容にも反映されていた。
この法律の主たる目的は各保険者に対して老人医療に対する財政負担を求め、同時にこれまで「ただ」であった老人医療に一部負担を設けることによって医療費の政府支出を削減することであった(第三章参照)。
しかしながら、同法には、検診の対象を四〇歳以上の国民全員に拡大する措置も盛り込まれており、その背景には予防によって医療費を抑制できるという典型的な公衆衛生の考え方があった。
なお、老人保健法の草案には全国の保健所機能を拡大し、在宅ケアの拠点とする構想があったが、日本医師会の反対によって実現しなかった。
このように厚生省が公衆衛生モデルによる公的事業の拡大を図ろうとした場合には、日本医師会は従来のように自民党を始めとする支援を得てなお効果的に対応できた。
老人医療に対する医療幾閑への支払方式を中医協ではなく、日本医師会が指導性を発揮できない老人保健審議会において決めることを厚生省は検討していたが、やはり成功しなかった。
以上のように、「医療経済」は国の医療政策の基本理念とはならなかった。
その理由は、医療経済の中の医療費抑制の論拠だけが取り上げられたために、個人の選択という面はあまり前面にでず、社会からはほとんど注目されなかったことにある。
仮に省内における伝統勢力である「公衆衛生」派と、新進の「医療経済」派の対立が外部にも波及し、本来の争点である個人の自由と平等についてそれぞれ研究者やマスコミを巻き込んでの活発な論戦を展開したならば、事態は変わったかもしれない。
だが、前述したように日本には正統派の「医療経済」派の論客となるような研究者はほとんどいなかったのである。
しかしながら、基本的には、医療経済の基本である効率と、厚生省が今まで信奉してきた平等な医療の提供とは相いれないものであるところに大きな無理があった。
というのは、真の効率を達成するためには、国民一人一人が与えられた情報に基づいて、最適と判断した医療を選ぶことができる体制にする必要があるからである。
ところが、「最適」とは、個人のそれぞれ異なる支払能力の範囲での最適を意味しているので、効率を追求するためには、医療サービスに不平等が生じることを容認する必要がある。
こうした格差は他の分野では容認されても、医療の分野では社会の根強い反発がある。
以上のような障壁があるため、省内の「医療経済」派は格差に対する抵抗が比較的少ない病院給食に目を向け、患者の選択した給食のグレードに応じて費用を徴収することが許可された。
このように規制の緩和と競争の促進は非常に限られた部分でしか実現しておらず、平等の原則が基本的には維持されている。
医師側には、実は医療経済に対抗できる政策理念はあった。
それは「科学」としての医療の追求である。
もちろん、医療はもともと医学という科学に基づいているが、大学で教育、研究する細分化された「医学」と、実際の臨床場面で遭遇する「医療」との間には大きな隔たりがあり、それを埋めるのが臨床医の長年の経験と勘であった。
医学にこのような限界があるからこそ、各医師は個々人が磨いた「芸」を重視し、自らの診療に対する厚生省はもちろん、他の医師の介入もきらうわけである。
こうした従来の考え方に対して、科学主義は二つの観点から新たな方向性を提示した。
その一つが、各々の診療場面において最適と考えられるパターンの標準化を目指すことである。
すなわち、各専門医団体がそれぞれマニュアルやガイドラインを作成し、それについて研修した専門医のみに診療を限定すれば、高いレベルの標準化した医療が提供できるようになる。
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